☆☆☆ 少女アリス 01 ―――理不尽ファンタジー、倒錯と錯覚の世界。


第1話 幼い王女
 *お茶会

「では、アリスさん、僕にいい考えがあります」
「どうぞ」
「近々、仮装行列があります。その時というのは、どうでしょうか」
「なるほど。それはいい考えですね」
「賛成です」  「ワタクシもです」
「なるほど。それでは、それに決定します。・・・今日のお茶会は、これにて終了します」
「では」  「また」  「その日に・・・」



 カチャン・・・。

 そして、お茶会は終わりました。


「失礼します」
「また、お会いしましょう」
「それでは・・・」
「・・・それでは」

 皆帰っていきました。
 それぞれの場所に、それぞれのドアで。

 女王様が死にました。
 姿が見えません。
 気づくと別の女王様がいました。
「こんにちは」
 優しげに笑い、首をかしげている幼い少女。新しい女王。
「どうなさったの? こんなところで・・・。迷ったのね?」
「いえ・・・」
 アリスは戸惑い、首を振った。
「まあ、大変。わたしが案内してあげるわ」
「いえ・・・」
 アリスの言葉を無視して女王は手をつかむ。
 子供のように熱く、ねっとりとした手だった。アリスは思わず両目をぎゅっと瞑った。
「こっちよ」
 手を引く女王の手が、融けるようにアリスの手とつながる。
 足が直立のままぶるぶると震えだした。
「こっちよ」
 女王は、アリスを振り回すように力づくにあちこち引っ張って行く。
「ああ・・・」
 アリスの体は藁のように振り回されるばかりだ。
  そうして、アリスは自分が人形になったのを感じた。
「もうすぐよ」
 女王は小さくなったアリスを大事そうに抱えて、囁いた。
 もはやアリスには聞こえていない。
「ほら、着いたわ」
 不自然な、まるきり現実を無視したような、お菓子の家が鬱蒼とした森の中から忽然と現れた。
「ようこそ、わたしの家へ」
 甘い、ウェハースのドアを開け、さらに甘ったるい空間に入った。
 テーブルにアリスを可愛らしく座らせる。そして、女王は満足したように、吐息した。
「ん? あら・・・?」
 女王は、不可解な眼差しでアリスを凝視した。「あらぁ・・・?」 そして、
「まあ、なんて、おいしそうなのかしら!!」
 突如、女王は部屋ではなく、アリスを見て声を上げた。
 アリスは自分が砂糖菓子になっているのに気づいた。
 蜂蜜を凝縮したような見事な髪。
 凛とした瞳は光を通した飴細工。
 それは、爪にも丁寧にほどこされていて・・・全体からほのかに甘さが漂ってくる。
 甘い甘い、花を砂糖漬けにしたものと同じ匂い。
「ああ、そうだわ。紅茶の準備をしなくちゃ・・・」
 いそいそと憑かれたように女王が動き出す。
「ああっ!!」
 ガシャン、パリン。ガシャン、パリン。ガシャン・・・。
 高価そうなティーセットが、粉々に砕け散った。女王はもう一度、ああ、と呟いた。
「割れてしまったわ、どうしましょう。
 アリスの為に用意しておいたのに・・・。
 アリスと一緒にお茶を飲みたかったのに・・・。
 とっても大事にしていたのに、割れてしまったわ・・・」
 残念そうに残骸を見ていると思ったら、不意に微笑んだ。
「でも、いいわ。アリスはここに居るもの!
 これから、ずっと、一緒に居るんだもの!!」
 女王はその考えを気に入って、はしゃいでアリスを抱き上げた。
「アリスがいる!
 わたしといる! 
 ずぅっと、一緒に、二人で、いる!」
 そのままくるくると踊り出す。
 女王の足下では、ティーセットの破片、陶器の残骸が音をたてて砕け散る。
 綺麗な音を立てて、弾けるそれらは、容赦なく二人に当たって、さらに砕け散っていった。
 それは、アリスを傷つけ、女王を消耗させた。女王はその年に似合わぬ物憂げなようすで髪をかきあげた。
「ああ、アリス・・・。疲れたわ。私、もう、眠たくなったみたいなの・・・」
 その疲れた横顔の向こうに、まだ知らない大人の影が見えた。
 女王はアリスをぎゅっと抱きしめ、ふかふかのソファベッドに沈み込む。
「アリス、また、明日・・・、お茶会を、しましょうね・・・」
 女王は、そのままぐったりと眠り込んでいった。
「・・・」
 そして、次の日の朝。
「ん・・・」
 急激な変化に目を覚ましたアリスは、突如理由のわからない不安感に苛まれた。
 体が重い。回された腕が、重く、きつく、食い込んでは、アリスを縛る。
「・・・んん・・・」
 辺りを見回す前に、目の前でアリスを抱いている女王が、声を立てた。
「ん・・・。アリスゥ・・・?」
 寝惚けたように、目を擦りながらアリスを覗き込もうとした。
「ああ、いやあぁっ!!」
 ドンっ!!
 アリスは、突然、思いきり突き飛ばされた。
「っ!?」
「あ、あなたは、何者ですっ!!」
 女王の金切り声がアリスに振りかかる。
「なぜ、ここにいるのです!! なぜ、私の・・・!!
 私の近くに来て・・・、私に何をするつもりだったのです!!」
 女王は取り乱して、半狂乱に喚き散らしていた。
 その姿は、いつも物憂げで何かを悲しんでいる、大人の女王だった。
「・・・いいえ、わかっています。私を殺しに来たことぐらいは・・・。
 でも、私は女王です!! そう簡単には、死なないのです!!」
「・・・、女王、様・・・?」 
 女王はひたむきに何かを信じるように、己の身が『そう簡単には死なない』ことを信じている。
 彼女はアリスが見えているのか、いないのか。必死に喚き続けている。
 ・・・まるで、一人芝居に興じるように。必死に、必死に口を動かし続ける。
「ああぁあ! こんな事になるなんて・・・!!
 わかっていれば、こんな馬鹿な事などしなかったのに・・・!! あああっ・・・!!」
 髪を振り乱して喚き嘆いていたかと思えば、突如、こちらを見て、
「いいえ、違う!! 違うわっ!!
 私が悪いのではなくて、あなたが、悪いのですっ!! あなたが、いけないのです!!」
 と、全ての非がアリスにあるような目を向ける。
 アリスは混乱した。
 しかし、女王はアリスよりもさらに混乱していた。
 狂乱。錯乱。
 自分を自分でわかることができない。理解することが、できないでいる。
「あああ、嫌っ!! 嫌、嫌、いやぁっ・・・!!
 どうして、あなたは私の前にいるのです!? あなたは死んだはずではなかったのですかっ・・・!?
 なぜ、今になって私の前に現れ・・・私の邪魔をするのですか・・・っ!?」
 女王は落ち着きのない目をアリスに向けては逸らす、という行動を繰り返している。
「邪魔など・・・!! ・・・え。私が・・・死んだ・・・?」
 アリスは信じ難い女王の言葉に、夢の話を思い出そうとするように、ほんの一瞬ぼんやりとしてしまい、反応が遅れてしまった。
 ただ、可愛らしく首を傾げた。
 信じるもなにも、嘘だと決まっているその言葉に対して。
「そうです! そうなのですっ!!」
 にわかに活気づいた女王が、高らかに歌でも歌うように天を仰いで高い声を出す。
「あなたは確かに死んだはずなのに・・・!!
 私はあなたの葬列にも加わったし、あなたの為に泣きさえしたのに・・・!! 
 あなたは、今ここに居るという事実だけで、あの事をなかった事にするつもりなのですかっ・・・!?」
「葬列・・・? 私の・・・?」
 ぼんやりとアリスは繰り返した。少し、可笑しかった。
 しかし、アリスは急に馬鹿馬鹿しくなって、しぼんだ風船のように深く息をついた。
 そんな、あるはずのない事で必死になっている女王がただ、可哀想になった。
 嘘で、彼女だけの夢想でしかない、『己の現実』にしがみ付く女王の姿が哀れで仕方なく思えた。
「女王様・・・。そんな嘘を、いつまで付くおつもりですか?」
 アリスは急速に冷めていくのと同時に、急速に冴えていった。思い出したのだ。
 彼女の持病を。彼女のすべてを。
 長年の付き合いがあった。
 誰よりも親しく話したこともあった。
 ふたりだけで数えられぬ程の、密会めいた逢瀬を重ねた。二人はいつもそこにいた。
 静かな静かな白い石造りの空間。
 噴水が涼しげに輝いていた。
 春の日差しのように豊かなあの場所は、今どうなっているのだろう・・・?
 アリスは遠い昔を思って、頬を緩めた。
 ここにいるのは『女王』。
 あの、『女王様』なのだ。
 その事実だけで、アリスにはどうすることもできた。思い出したのだ。
「もう、そろそろ戻らないと、王子達も心配しますよ?」
 一言、『本物』の現実を言ってやればいいのだ。
 ほんの、ひとこと。
 心に刺す針ほどに、小さくていい。それでも効果はあるのだから。
「嫌よ、嫌っ!! 私には子供など居ないわっ!! 王子だなんて、居るわけないわぁっ!!」
 ほら、もうすでに綻びが見えた。
「お子様ではございません。
 あなたの・・・夫になるお方ですよ、女王様」


「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」


 絶叫が、天をも揺るがした。
「嫌、嫌っ!! 違うわっ!!」
 繰り返される、意味のない否定。
「そんなはず、ないわっ!!」
 それでも、繰り返すことしかできないのか。女王はただ繰り返すばかり。
 何を拒否したいのだろう。
 何が、彼女をここまで追い詰めたのだろう。
 知りたいような、知っているような、見ない振りしたような・・・・・・自分が原因なような。
胸に、疼くように訴えてくる、甘い甘い好奇心。アリスは思わず、自分の胸に手を当てた。
 とくん・・・とくん・・・とくん・・・・・・。
 規則正しい鼓動が、一糸の乱れもなく続いてゆく。
 アリスは思った。
 自分は正常だ。
 ちゃんと生きている。
 ただこれは・・・好奇心なのだ。
 ただの、好奇心でしかないものだ。そんな大したことではない。
 まるで誰かにくすぐられているように、咽喉から笑い声が漏れた。
 軽やかで柔らかい声は、場違いな優しさを含んでいた。
「あっ・・・!? あれ・・・、アリスゥ・・・? どう、したの・・・?」
 まだ、覚めやらぬ夢の中にその身を置いている女王が、幼い女王に戻って、訊いてくる。
 不思議そうに、おっとりと半分目を閉じたその顔は、疲れの為か、眠ってしまいそうに見えた。
 夢見がちな、少女の顔そのものだった。
「女王様・・・。もう、起きてもいいのですか?」
 アリスは優しく声をかける。
 この、不安定な子供が起きてしまわないように。
「ええ・・・。大丈夫よ、アリス・・・。でも、変ね・・・。まだ、眠いの・・・」
 うとうとと瞼を揺らす姿が、なかなか愛らしいではない。
 彼女は夢の力に引きずられている。
 これは好都合。
「もう一度、眠ってしまっても構いませんよ。きっと疲れているのでしょうから・・・」
 優しく毛布を肩まで引き上げる。
 女王は幸せそうに微笑んだ。それは満足した子供の顔だった。
「うん・・・。それじゃあ、もう一回、眠ってもいい・・・? アリス、居なくなっちゃわない・・・?」
 どこまでも愚かな女王。
 彼女は夢の住人なのだ。大人になっても、子供でいても。
 幸せ以外を拒絶するように出来ている、そんなあなた・・・。
「居なくなんて、なりませんから・・・大丈夫です。あなたは、もう一度、眠って下さい・・・。安心して・・・」
「うん・・・。お休み・・・アリス・・・。大好きよ・・・」
「ええ、私も。・・・女王様・・・いい夢を・・・」
 女王の瞼がアリスの優しい声と笑みにゆっくりと閉じられていく。
 一呼吸・・・二呼吸・・・・・・。
 女王は安定した呼吸を繰り返すようになった。どうやら本当に眠ってしまったようだ。
 彼女は容易く眠りの国に行ってしまう。
「何も知らない・・・何もされない、子供の夢は、いかがですか・・・? 女王様・・・」
 ただ、アリスの声が優しく滲むだけだ。
 彼女は笑っていた。
 アリスの長い金髪が、さらりとベットに、女王の頬に落ちかかった。
「ん・・・」
「何も知らない・・・何も・・・」
 アリスの声は、囁き続ける夢魔の努力によって、アリス以外の誰にも聞こえることはなかった。
 ただ、半覚醒状態になったアリスは、己の身を持て余して、女王の過去に思いを馳せた。
 いや、それは未来であっか。
 それにも、飽きたアリスが『アリスであるがゆえに持つ力』を使って眠り続ける女王の夢を覗いた時、彼女はお茶会にいて、一緒に居た人達をひとりで見送っていた。
 そして、次に幼い女王の姿が現れた頃、アリスは我知らず微笑んだ。
 さあ、甘い夢の始まりだ・・・。
 眠り続ける女王に、口づけをするように、アリスはその顔に顔を寄せた。
 幸せは、見つかりましたか? 私の、幼い、女王様・・・。



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